ニュース 一覧へ戻る 2010/11/15 大原美術館創立80周年記念音楽会/その夜奇跡が起こった! NEWS GALLERY CONCERT 大原美術館創立80周年記念行事もいよいよ最終日の11月6日土曜日の夜、大原美術館の2階ギャラリーで、奇跡としか言いようのない出来事が起きました。 大原孫三郎生誕130年にもあたる今年、孫三郎が愛した鴨方出身の文人画家、浦上玉堂の山水画にちなみ、安田謙一郎氏(作曲家・チェリスト)に作曲が委嘱されました。その新作「浦上玉堂『深林絶壁』によせる即興曲」がめでたくお披露目というその夜の出来事です。 演奏者は、安田謙一郎(チェロ)漆原朝子(ヴァイオリン)木村徹(ピアノ)の3名。多忙な3人が東京で練習を重ね、公演当日倉敷に集合。ただ、ひとつ気がかりは、前日駅の階段から転落し、肩を強打したという木村さんのこと。痛み止めを打てば弾けるので、とりあえず痛み止めを打ってくれる病院を倉敷で捜してと言われていました。ところが病院で検査したところ、肩を骨折していることが判明。このまま演奏すれば、今後ピアニスト生命にかかわる恐れも。「別のピアニストを捜してください」との医師からの強い言葉が。その時すでに3時半、本番まで3時間をきっていました。 実は不安な気持ちで木村さんの到着を待っているとき、松本和将さんの名前がふと頭をかすめました。「そんなにうまく地元にいるわけないか・・」と思いながらふと倉敷駅で手にした「国文祭」のちらし。すると翌日開催の「オーケストラの祭典」の出演者の中に松本和将さんの名前があるではないですか。 医師の言葉の後、もう松本さんしかないと確信し、彼の携帯電話に電話するも、留守番電話になっていてつながらず。メッセージを入れ、次の手段を思案。しかしこちらもうまく進まず、4時に松本さんにふたたび電話。すると、こんどは応答があって、しかも事情を説明すると「とにかくすぐ行きます!」と力強いお返事をいただいたのです。「地獄で仏」とはこのこと。 松本さんは、倉敷へ駆けつけるタクシーの中から、安田謙一郎さんと電話で相談し、当初予定していたフォーレのチェロ・ソナタをベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番に変更しました。というのも、フォーレのチェロ・ソナタは松本さんにはなじみがなく、委嘱作品と2曲も初見ではあまりに酷ということで。一方こちらは楽譜を求めヤマハ倉敷へタクシーを飛ばすことに。 5時、松本さんが美術館に到着。浦上玉堂の掛け軸を展示するパネルを固定するドリル音が炸裂する会場で、ようやく出演者が揃い、前代未聞、初顔合わせのゲネプロが始まりました。1分も惜しい状況です。関係者が固唾をのんで見守る中、初見の譜面に挑み、他の演奏者とアイコンタクトをとりながら、見事に弾きこなしていく松本さん。無調の新曲をまったくの初見でここまで聴かせるとはなんてすごい才能なんだろう・・。見守る一同に驚きの声が上がりました。 結局、ロビー開場で6時15分まで延長したゲネプロも、3曲目のメンデルスゾーンのピアノ・トリオに至ってはポイントを少しあわせただけで、6時40分にはあわただしく開演となりました。 演奏に先立ち大原謙一郎から出演者変更の説明があり、場内驚きの声が上がる中で出演者登場。浦上玉堂の絵が見守る中、新曲の幻想的で美しい響きが会場を包みます。だれも聴いたことがない新鮮で不思議な音の世界。演奏を終え舞台袖に帰ってきた演奏者の顔は、安堵の喜びと興奮で真っ赤になっています。続いて、安田さんと松本さんの2人でベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番の演奏。実は、安田さんがこの曲を弾くのは5年ぶりだったのだとか。「ベートーヴェンをゲネプロだけでいきなり本番で弾くなんて、生まれて初めての経験・・・」と笑っていらっしゃいましたが。 休憩後は、有名なメンデルスゾーンのピアノ・トリオ第1番。いかにもセッションというライブ感あふれる乗りのよい競演に、場内も大いに沸きました。 アンコールに応えて演奏されたのは、ラフマニノフ(安田謙一郎編曲)の歌曲「ここは素晴らしい」。食後のシャーベットのように甘く美しいメロディーで、緊張感と驚きに満ちたコンサートをやさしく締めくくりました。 「思いがけず、実に楽しいコンサートでした」と、またの共演を誓い合う出演者3人。 考えてみれば、コンサートが中止となっていても不思議ではないこの状況で、倉敷出身の松本和将さんがたまたま地元にいて(当日東京から着いたばかり)、しかも弾ける状況にあったというタイミングの良さに加えて、臆することなく世界初演の曲を見事に弾いてしまったという、奇跡としか言いようのないすごい出来事だったのです。玉堂の絵が、孫三郎が、いえ倉敷という磁場が起こした奇跡だったのでしょうか。なにか見えないものの力の存在を強く実感した瞬間でした。 美術館創立80周年を飾るこのエピソード。伝説として長く語り継がれることになりそうです。 後日、安田謙一郎さんから「いろいろ大変だったのに安心して音楽に集中できました」とお礼の言葉をいただきました。音楽マネージメントの仕事に携わる私たちにとって最高の賛辞をいただいたと感じています。これを1つの節目に、これからも素晴らしい音楽の出会いが生まれるよう、身を引き締めて努力していきたいと思います。 玉堂の掛け軸に見守られ、世界初演の曲に挑む松本和将さんら3人 委嘱作品を手がけた安田謙一郎さん(作曲家・チェリスト) ヴァイオリンの漆原朝子さん ©I Kajiki 前の記事 次の記事
大原美術館創立80周年記念行事もいよいよ最終日の11月6日土曜日の夜、大原美術館の2階ギャラリーで、奇跡としか言いようのない出来事が起きました。
大原孫三郎生誕130年にもあたる今年、孫三郎が愛した鴨方出身の文人画家、浦上玉堂の山水画にちなみ、安田謙一郎氏(作曲家・チェリスト)に作曲が委嘱されました。その新作「浦上玉堂『深林絶壁』によせる即興曲」がめでたくお披露目というその夜の出来事です。
演奏者は、安田謙一郎(チェロ)漆原朝子(ヴァイオリン)木村徹(ピアノ)の3名。多忙な3人が東京で練習を重ね、公演当日倉敷に集合。ただ、ひとつ気がかりは、前日駅の階段から転落し、肩を強打したという木村さんのこと。痛み止めを打てば弾けるので、とりあえず痛み止めを打ってくれる病院を倉敷で捜してと言われていました。ところが病院で検査したところ、肩を骨折していることが判明。このまま演奏すれば、今後ピアニスト生命にかかわる恐れも。「別のピアニストを捜してください」との医師からの強い言葉が。その時すでに3時半、本番まで3時間をきっていました。
実は不安な気持ちで木村さんの到着を待っているとき、松本和将さんの名前がふと頭をかすめました。「そんなにうまく地元にいるわけないか・・」と思いながらふと倉敷駅で手にした「国文祭」のちらし。すると翌日開催の「オーケストラの祭典」の出演者の中に松本和将さんの名前があるではないですか。
医師の言葉の後、もう松本さんしかないと確信し、彼の携帯電話に電話するも、留守番電話になっていてつながらず。メッセージを入れ、次の手段を思案。しかしこちらもうまく進まず、4時に松本さんにふたたび電話。すると、こんどは応答があって、しかも事情を説明すると「とにかくすぐ行きます!」と力強いお返事をいただいたのです。「地獄で仏」とはこのこと。
松本さんは、倉敷へ駆けつけるタクシーの中から、安田謙一郎さんと電話で相談し、当初予定していたフォーレのチェロ・ソナタをベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番に変更しました。というのも、フォーレのチェロ・ソナタは松本さんにはなじみがなく、委嘱作品と2曲も初見ではあまりに酷ということで。一方こちらは楽譜を求めヤマハ倉敷へタクシーを飛ばすことに。
5時、松本さんが美術館に到着。浦上玉堂の掛け軸を展示するパネルを固定するドリル音が炸裂する会場で、ようやく出演者が揃い、前代未聞、初顔合わせのゲネプロが始まりました。1分も惜しい状況です。関係者が固唾をのんで見守る中、初見の譜面に挑み、他の演奏者とアイコンタクトをとりながら、見事に弾きこなしていく松本さん。無調の新曲をまったくの初見でここまで聴かせるとはなんてすごい才能なんだろう・・。見守る一同に驚きの声が上がりました。
結局、ロビー開場で6時15分まで延長したゲネプロも、3曲目のメンデルスゾーンのピアノ・トリオに至ってはポイントを少しあわせただけで、6時40分にはあわただしく開演となりました。
演奏に先立ち大原謙一郎から出演者変更の説明があり、場内驚きの声が上がる中で出演者登場。浦上玉堂の絵が見守る中、新曲の幻想的で美しい響きが会場を包みます。だれも聴いたことがない新鮮で不思議な音の世界。演奏を終え舞台袖に帰ってきた演奏者の顔は、安堵の喜びと興奮で真っ赤になっています。続いて、安田さんと松本さんの2人でベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番の演奏。実は、安田さんがこの曲を弾くのは5年ぶりだったのだとか。「ベートーヴェンをゲネプロだけでいきなり本番で弾くなんて、生まれて初めての経験・・・」と笑っていらっしゃいましたが。
休憩後は、有名なメンデルスゾーンのピアノ・トリオ第1番。いかにもセッションというライブ感あふれる乗りのよい競演に、場内も大いに沸きました。
アンコールに応えて演奏されたのは、ラフマニノフ(安田謙一郎編曲)の歌曲「ここは素晴らしい」。食後のシャーベットのように甘く美しいメロディーで、緊張感と驚きに満ちたコンサートをやさしく締めくくりました。
「思いがけず、実に楽しいコンサートでした」と、またの共演を誓い合う出演者3人。
考えてみれば、コンサートが中止となっていても不思議ではないこの状況で、倉敷出身の松本和将さんがたまたま地元にいて(当日東京から着いたばかり)、しかも弾ける状況にあったというタイミングの良さに加えて、臆することなく世界初演の曲を見事に弾いてしまったという、奇跡としか言いようのないすごい出来事だったのです。玉堂の絵が、孫三郎が、いえ倉敷という磁場が起こした奇跡だったのでしょうか。なにか見えないものの力の存在を強く実感した瞬間でした。
美術館創立80周年を飾るこのエピソード。伝説として長く語り継がれることになりそうです。
後日、安田謙一郎さんから「いろいろ大変だったのに安心して音楽に集中できました」とお礼の言葉をいただきました。音楽マネージメントの仕事に携わる私たちにとって最高の賛辞をいただいたと感じています。これを1つの節目に、これからも素晴らしい音楽の出会いが生まれるよう、身を引き締めて努力していきたいと思います。
玉堂の掛け軸に見守られ、世界初演の曲に挑む松本和将さんら3人
委嘱作品を手がけた安田謙一郎さん(作曲家・チェリスト)
ヴァイオリンの漆原朝子さん ©I Kajiki