くらしきコンサート

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2007/06/29

時代に問うドイツ音楽の真価 (公演チラシより)

2006年7月31日、ドイツ・バイロイトの祝祭劇場は嵐のような喝采に包まれていた。ワーグナーの聖地で、上演史130周年を迎えた今世紀初となる新演出の『ニーベルングの指環』が終演し、4夜にわたって指揮を執ったクリスティアン・ティーレマンはこの日、ひときわ盛大な拍手に迎えられ何度も姿を現した――
ティーレマンとバイロイトのかかわりは深い。2000年『マイスタージンガー』でデビューすると、早くも翌年バイロイト音楽祭創設125周年の指揮を委ねられて『パルジファル』を振っただけでなく、この年が戦後の音楽祭再開から50年目にあたることから、節目の記念演奏として恒例のベートーヴェン『第9』も任された。続く2002年は『タンホイザー』、そして昨年の『リング』――バイロイトを久々に席巻した“ドイツ人指揮者”として、ティーレマンは押しも押されもせぬ音楽界の寵児になった。
青年時代はカラヤンのアシスタントも経験した。ドイツ国内のさまざまな歌劇場で修練を積み、その後デュッセルドルフやニュルンベルクなどで本格的にカペルマイスター(劇場専属指揮者)のキャリアをスタートさせる。ティーレマンの名が急浮上してくるのは、90年代後半に入ってからである。1997年、ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督就任。そこは20歳前後の数年間コレペティトア(歌稽古のピアノ伴奏者)として通った古巣であり、1991年に『ローエングリン』でデビューした馴染みの劇場だった。彼はここでワーグナー、R.シュトラウスなどのドイツ・オペラにおいて新演出の導入に精力を注ぎ、国際的な評価を高めていく。メジャーからのオファーは引きも切らない。2000年ウィーン・フィルと初共演、2002年ベルリン・フィルとザルツブルク・イースター音楽祭にデビュー。2003年にはウィーン国立歌劇場に『トリスタンとイゾルデ』でデビューし、圧倒的な成功をおさめた。並行するバイロイトのティーレマン旋風は、まさに時代の追い風でもあったのだ。
そんな中で2004年、ティーレマンはベルリンを離れ、ポストをミュンヘンのオーケストラに移した。ミュンヘンはR.シュトラウスの生地である。110余年の歴史をもつミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、マーラーが自ら指揮して自作を初演したことでも知られ、実はティーレマンが尊敬するフルトヴェングラーが指揮者としてデビューした楽団でもある。黄金期といわれたケンペの70年代、そして後任のチェリビダッケが極めた至高のブルックナーなど、ドイツびいきのファンには思い入れのあるオーケストラのひとつだろう。音楽総監督を務めることになったティーレマンは、その就任披露公演でいきなり勝負に出た。演奏曲はブルックナーの交響曲第5番。ミュンヘン・フィルがもっとも得意とするレパートリーだが、世間が注目したのは、それが本拠地ガスタイクのフィルハーモニーこけら落としでチェリビダッケが指揮した、記念碑的な曲だったことだ。ティーレマンなら既に定評のある当地ゆかりのR.シュトラウスを振ったほうが成功率も高いだろうに、あえて巨匠の十八番をぶつけてくるとは、いかにも挑発的ととられかねない選曲だ。しかし、会場に詰めかけた人々は、楽団の歴史に加わる新たな1ページとしてティーレマンの情熱を存分に味わい、その挑戦を大いに楽しんだ。「この曲でコケればスキャンダル」という周囲の思惑をよそに、演奏者と聴衆が心をひとつにして由緒ある楽曲に臨んだステージの興奮は、今思えばバイロイト以上に“ドイツ音楽の新時代”を印象づけた出来事だったのではないだろうか。
世界有数の音楽大国、そして数々の名指揮者を生んだドイツが、今や外国人指揮者たちに伝統の劇場・楽団を明け渡しているとの指摘は残念ながら当たっている。だから今、ティーレマンの若々しい力がいっそう眩しい。彼はドイツ音楽の伝統に21世紀の風を送り込み、偉大な芸術の真価を鋭く現代に問いかける。その果敢な精神が伝統を進化させていくと見るか、強気の孤軍奮闘と見るか。カペルマイスターのキャリアを積んだドイツ正統派の指揮者がこの秋、日本の聴衆に向けて、オール・ドイツ・プログラムで魂のタクトを振る。

第80回くらしきコンサート「クリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」公演チラシ

クリスティアン・ティーレマン
©KASSKARA/DG

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
© Münchner Philharmoniker