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2005/05/12

エレーヌ・グリモー 魂の新天地を求めて-音楽が芽吹く場所- (公演チラシより)

エレーヌがピアノに出会う前、もっと幼い頃にこんなやりとりがあった。「お母さん、境界線ってなあに?」「ここで終わりという意味の線よ」「じゃあ、あたしのからだがあたしの境界線なの?」-- どきりとする言葉である。彼女は長い間、その境界線の内側に閉じ込められた〈自分〉をもてあまして、周囲と折り合いをつけられずにいた。学校の教室では、空想にふけったり、突然関係のない質問をしたりして先生を困らせたし、友達もできなかった。しかしエレーヌは、ただ無頓着でわがままな問題児というわけではなかった。むしろ自分を意識するあまり混乱していた。自らの精神的、感情的なエネルギーを、からだという境界線の外へどのように発散させたらいいかわからなかった。自分の居場所がない--大人でも容易に解決できないこの深刻な悩みをかかえたまま、エレーヌは成長したのである。
両親はわが子の欲求のはけ口を見つけるべく、さまざまなお稽古事に通わせたものの、すべて徒労に終わっていた。ある日、父親が思いつく。「音楽教室はどうだろう。」エレーヌは幸運にも良い先生に巡り合い、やがて驚異的なピアノの才能を見出されて13歳でパリ音楽院に入る。ピアノは彼女を豊かにし、内なるエネルギーを解放する糸口になったが、孤独は相変わらずだった。ピアノを弾く歓びが、授業の課題にがんじがらめになって窒息しかけていた矢先、パリに来ていたデンオンのプロデューサー川口義晴氏が偶然エレーヌの演奏テープを聴き、録音の話をもちかける。15歳でCDデビューした〈美しい天才少女〉。恵まれた容姿ゆえに世間の好奇の目はあからさまだった。その後さまざまなチャンスを手にし、申し分ないキャリアのスタートを切ったにもかかわらず、彼女は早くも精神的に行き詰まりを感じ始めていた。パリの楽壇に自分の居場所はない。ここでは私は〈不協和音〉なのだ、と。
人生の風向きを変えたのは、ツアーで初めて訪れたアメリカだった。人々が先入観なしに演奏を聴いてくれることがうれしかった。ツアー最終地のフロリダで、彼女はとどまることを決意。森林に覆われた田園地帯で田舎暮らしを始めたエレーヌは、深夜の散歩の途中、1匹の狼に出会う。ベトナム帰還兵に飼われ、アラワと名づけられたその雌狼は、誰にもなつかない荒々しい獣、のはずだった。ところが、狼はエレーヌのそばへ来ると、自分から初対面のエレーヌの手のひらに頭と肩をこすりつけてきたのである。アラワは、あお向けになって横たわり、おなかを見せた。信頼と服従のサイン。種をこえて、お互いが運命の相手であることを知った瞬間だった。アラワと親交を深めるうち、住みかを追われ数を減らしている狼たちの未来を憂い、エレーヌは持ち前のバイタリティーで動物行動学と環境問題の勉強に没頭していく。狼の保護施設をつくりたいと真剣に考え、北米郊外にその土地を求めてニューヨークに転居。コンサート出演料はすべて貯金にまわし、食費まで切り詰めた生活をしながら、所轄官庁との交渉に奔走した。
念願かなって1999年に誕生した「ニューヨーク・ウルフ・センター」は、エレーヌにとって魂の新天地となった。ようやく見つけた自分の場所、その野生のふところは、彼女の言葉を借りるなら〈音楽が芽吹く巨大な場所〉でもあった。小鳥の歌、木立をわたる風のざわめき、月夜にエレーヌを呼ぶ狼たちの遠吠え--人里離れた広大な土地で狼と暮らす日々が、自分の存在と音楽の意味を問いかける。自然と調和して生きることで長年の孤独を乗りこえたエレーヌは、音楽家としても生まれ変わっていた。2001年9月11日、あの惨劇の夜、ロンドンにいた彼女は公演をキャンセルしなかった。流れる涙で鍵盤を濡らしながら弾いたベートーヴェン。集まった満場の聴衆とともに、生命を讃えるために。

音楽は祈りとなり、感謝となる。エレーヌ・グリモーは自らの生きざまによって、それを奏でている。

写真:J Henry Fair/DG