ニュース 一覧へ戻る 2007/08/20 公演チラシに登場する名画たち 【パウル・クレー『A』】 CONCERT REPORT 今回、「クリスティアン・ティーレマン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」のチラシに使われているのは、パウル・クレーの『A』(大原美術館所蔵)の一部です。 チラシを手にしたとたん、意志の強さを物語るティーレマンの鋭い視線に惹きつけられるのと同時に、その傍らで色彩が爆発しているようなクレーの絵にお気づきになるでしょう。この絵を見ていると、まるで重厚なシンフォニーを聴いているような不思議な感覚を覚えます。どうやらその理由は画家、パウル・クレー自身の人生と深いかかわりがあるようなのです。 1879年パウル・クレーはスイスの首都ベルンに生まれました。父は音楽教師、母も声楽家という音楽一家のなかで育ちました。幼い頃から音楽的天分を示し、7歳で始めたバイオリンも11歳でベルン市立管弦楽団の一員となるほどの優れた腕前で、余談ですが後に結婚した妻もピアニストでした。このように、並ならぬ音楽の才能を持ちながら、彼は音楽ではなく絵の道を選び、1900年、ミュンヘンの美術学校に進みます。 クレーの画業において転機となったのは1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行でした。この旅行に感銘を受けたクレーは鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変し大きな発展を遂げました。クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は、ほとんどがこの旅行以後のもので、『A』もこの時代の作品のひとつです。 クレーの作品の中には、『バイエルンのドン・ジョバンニ』や『バッハのスタイルで』といった、音楽に関係するタイトルの作品が数多く見受けられます。クレーの画風を見ても、音の旋律のような描線と、和音の重なりを表したような色彩が感じられるのは、このようにクレー自身音楽を生涯愛し、音楽と絵画の2つの世界を生きてきた証といえるのではないでしょうか。 公演チラシ・ポスター上部に使われた名画、パウル・クレー作の『A』。 アフリカの荒れた大地のような色彩に浮かび上がるアルファベットの『A』という文字。これは、なにかのイニシャル?音階の“ラ”?それとも秘密の暗号?見ているだけで不思議な世界に引き込まれていくようです。 前の記事 次の記事
今回、「クリスティアン・ティーレマン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」のチラシに使われているのは、パウル・クレーの『A』(大原美術館所蔵)の一部です。
チラシを手にしたとたん、意志の強さを物語るティーレマンの鋭い視線に惹きつけられるのと同時に、その傍らで色彩が爆発しているようなクレーの絵にお気づきになるでしょう。この絵を見ていると、まるで重厚なシンフォニーを聴いているような不思議な感覚を覚えます。どうやらその理由は画家、パウル・クレー自身の人生と深いかかわりがあるようなのです。
1879年パウル・クレーはスイスの首都ベルンに生まれました。父は音楽教師、母も声楽家という音楽一家のなかで育ちました。幼い頃から音楽的天分を示し、7歳で始めたバイオリンも11歳でベルン市立管弦楽団の一員となるほどの優れた腕前で、余談ですが後に結婚した妻もピアニストでした。このように、並ならぬ音楽の才能を持ちながら、彼は音楽ではなく絵の道を選び、1900年、ミュンヘンの美術学校に進みます。
クレーの画業において転機となったのは1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行でした。この旅行に感銘を受けたクレーは鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変し大きな発展を遂げました。クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は、ほとんどがこの旅行以後のもので、『A』もこの時代の作品のひとつです。
クレーの作品の中には、『バイエルンのドン・ジョバンニ』や『バッハのスタイルで』といった、音楽に関係するタイトルの作品が数多く見受けられます。クレーの画風を見ても、音の旋律のような描線と、和音の重なりを表したような色彩が感じられるのは、このようにクレー自身音楽を生涯愛し、音楽と絵画の2つの世界を生きてきた証といえるのではないでしょうか。
公演チラシ・ポスター上部に使われた名画、パウル・クレー作の『A』。
アフリカの荒れた大地のような色彩に浮かび上がるアルファベットの『A』という文字。これは、なにかのイニシャル?音階の“ラ”?それとも秘密の暗号?見ているだけで不思議な世界に引き込まれていくようです。