第86回くらしきコンサート
上岡敏之指揮 ヴッパータール交響楽団
2010年10月16日(土)19時(開場18時)
■会 場
倉敷市民会館
■プログラム
モーツァルト : 交響曲 第28番 ハ長調 K.200
マーラー : 交響曲 第5番 嬰ハ短調
※演奏者の都合により曲目・曲順は変更になる可能性もございます。あらかじめご了承ください。
■入場料(全席指定)
- S:10,000円
- A:7,000円
- B:5,000円
- C:3,000円
学生:1,000円〔小学生~25歳までの学生:当日指定・前売のみ限定100〕
◎車いすを使用される方は、ホール所定の専用スペースでご鑑賞いただきます。希望される方は、くらしきコンサートまでお知らせください。入場料として、本公演ではB相当5,000円を申し受けます。ただし、S席・A席を購入された方が車いすで来場された場合、B券との差額をご返金することはできませんので、あらかじめご了承ください。
※本公演の学生券は「郷土の中高校生にクラシック音楽をプレゼントする会」のご協賛により助成をいただいております。
■座席イメージ図(1842席/1974席:本公演はステージを通常よりも拡張しています)
※座席表は倉敷市民会館HPよりご覧下さい。
※ご入場は小学生以上の方とさせていただきます。
※お子様のお膝の上でのご鑑賞はご遠慮いただいております。必ずお1人様1枚チケットをお求めください。
※当日は会場に託児所をご用意いたします。
上岡敏之
Toshiyuki Kamioka
1960年、東京生まれ。東京芸術大学で指揮、作曲、ピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。在学中の1982年に安宅賞を受賞。その2年後、ロータリー国際奨学生としてハンブルク音楽大学に留学し、クラウスペーター・ザイベルに指揮を師事。キール市立劇場のソロ・コレペティトール、およびカペルマイスターとして歌劇場でのキャリアをスタートさせた。
1992年から96年まではエッセンの市立アールト劇場の第1カペルマイスターを務め、その後8年間にわたりヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場で音楽総監督を務めた。1998/99年のシーズンより、ヘアフォートの北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者も歴任。
2004/05年のシーズンよりヴッパータール市の音楽総監督に就任、オペラ、コンサートの両面において大きな成功をおさめ、高い音楽性ときめ細かい解釈がマスコミと聴衆双方に絶賛されている。2007年10月には手兵を率いて日本ツアーを行い、その成果を披露した。2009/10年シーズンからは、ヴッパータール響の首席指揮者を継続しつつ、ザールブリュッケン市にあるザールランド州立歌劇場の音楽総監督に転進、更なる活躍が期待されている。
これまでバンベルク交響楽団、ケルン放送交響楽団(WDR)、中部ドイツ放送交響楽団(MDR)、バイエルン放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、オランダ交響楽団、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団など国内外多数の楽団に客演。2008年6月には新国立劇場にてヴェルディ作曲「椿姫」を、11月には日生劇場にてモーツァルト作曲「魔笛」を指揮し、絶賛を博した。
後進の育成にも力を注ぐ上岡は、1999年から2000年までドイツ音楽協議会の指揮者フォーラムを主宰。ハンブルク音楽大学では室内楽と伴奏の講師を務め、2000/01年にはフランクフルト音楽大学のオペラ・クラスで教鞭をとった。2004/05年の冬学期からはザールブリュッケン音楽大学の指揮科正教授の要職にある。2007年6月、第15回渡邊暁雄音楽基金音楽賞・特別賞を受賞。
ヴッパータール交響楽団
Sinfonieorchester Wuppertal
楽団の歴史は150年近くにおよぶ。初期の段階から、クララ・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム、ヨハネス・ブラームス、マックス・ブルッフといった高名な音楽家がソリストや指揮者として登場し、名声を得ていった。エーリヒ・クライバー、オットー・クレンペラーなどの偉大な指揮者たちも、ヴッパータールで音楽的キャリアの第一歩を踏み出している。1900年(当時リヒャルト・シュトラウスも客演)より、シュタットハレを本拠地として活動、今も近隣のオーケストラがうらやむ立派な建物は、第二次世界大戦で一度焼け落ちたが、1995年12月に修復され、昔の輝きを取り戻した。
世界大恐慌時代にオーケストラを助けた音楽家の一人に、エルバーフェルト(ヴッパータール市の旧名)出身のハンス・クナッパーツブッシュがいる。のちには、ゲオルク・ラティエン、フリッツ・レーマン、マルティン・シュテファーニが指揮台に立った。22年間におよぶハンス・マルティン・シュナイトの時代に続いて、1986年~96年は、指揮者であり音楽学者でもあるペーター・ギュルケがオーケストラを率いた。一時的に任命されたシュテファン・クリーメからバトンを引き継ぎ、1998年から2004年まではアメリカ人のジョージ・ハンソンが、ヴッパータール市の音楽総監督を務めた。
その後、2004/05年のシーズンから2008/09年シーズンまで上岡敏之がヴッパータール市の音楽総監督を務め、楽団の力量は飛躍的に発展。2009/10年シーズン以降も上岡を首席指揮者として留めることに成功し、このコンビに対して更なる期待が高まっている。2007年10月には待望の日本ツアーを行い、大成功をおさめた。
レコーディングでは、コロムビアミュージックエンタテインメント(旧クリエイティヴ・コア)より2007年にチャイコフスキー「悲愴」、ブルックナー交響曲第7番のCDを発表、2010年4月からはR.シュトラウス「家庭交響曲」、シューマン交響曲第4番ほか、ワーグナー管弦楽曲集をリリースすることになっている。
オペラからコンサート、バロック音楽から現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを誇り、ドルトムントのコンツェルトハウスとケルンのフィルハーモニーでは定期的に公演しているほか、ミュンヘン、パリ、ブレスラウ、トリノ、およびローマなどをしばしばツアーで訪れている。また、アウトリーチ活動にも力を入れており、オーケストラが毎回さまざまな編成で学校を訪問、各楽器を紹介する「オーケストラにさわろう」といった企画は特に好評を得ている。
この公演は終了しました
今、ヨーロッパで活躍している日本人指揮者は?
と聞かれて、この名前を一番に挙げる方は少ないでしょう。
ドイツ・ヴッパータール市で市民にも楽団にも深く愛されている彼は、音楽を求める人々のために自分のすべてを捧げている人です。
指揮者、そして、ピアノの天才-幼少から専門教育を受けるほど経済的な余裕もなく、好きなピアノは近所の人に手ほどきを受け、たまにレッスンに行ったくらいで、進学した大学はピアノではなく指揮科でした。
しかしドイツ留学時代、急病のピアニストの代わりにベートーヴェンの後期3大ソナタを暗譜で弾いた驚きの実力は、近年、手兵ヴッパータール交響楽団との来日でピアノを弾きながら指揮した“弾き振り”の熱演でも証明済みです。
日本の大学ではほとんど評価されなかった彼が、音楽の喜びに目覚め、本来の底知れぬ才能を開花させたドイツ。
地方の歌劇場で歌手の練習ピアニストとして働き始めると、現場のあらゆる仕事をこなしながらオペラの舞台裏を学び、専属指揮者の代理でオペラを振ったことがきっかけで指揮者・音楽監督のオファーが次々舞い込むように。
功を急がず歩んできた長年の下積みと情熱が、次第に彼をドイツ地方都市の“文化的リーダー”へと押し上げていったのです。
「大学の落ちこぼれ」から「指揮台のヒーロー」へ-
演奏を終えて喝采を浴びる汗だくの上岡さんの笑顔には、音楽家として生きる幸せがキラキラ輝いています。